機能美のワークスマシン クライマックスのTVRグランチュラ(2) 今も一目置かれる理由
公開 : 2025.05.24 17:46
アマチュア・レーサーを支えたTVR ル・マンが前提のワークス・グランチュラ 資金繰りの深刻化でレース前に売却 レーサーらしく凛々しい佇まい 象徴的な1台をUK編集部がご紹介
もくじ
ー最初に製造されたワークスマシン
ークラブマン・レーサーらしく凛々しい佇まい
ー低い位置へ収まるクライマックス・ユニット
ー血気盛んな雰囲気 絶妙なバランス
ーポテンシャルを充分に発揮できなかったTVR
ーTVRグランチュラ Mk2(1960~1961年/公道仕様)のスペック
最初に製造されたワークスマシン
シャシー番号7 C 238のTVRグランチュラ Mk2は、最初に製造されたワークスマシンで、1960年10月にAUD 100のナンバーを取得。1961年に、スネッタートン・サーキットでのレースへ参戦したと考えられている。結果はリタイヤだったが。
スポンサーはアーノルド・バートン氏が営む衣類事業で、ドライバーはジョン・ウルフ氏だったようだ。過去が定かではない理由は、ウルフは別のシャシー番号7 C 345も運転した可能性があるためだ。

そのナンバーは126 ROで、グッドウッド・サーキットでのイベントを戦っている。しかし明確な記録はなく、写真も僅かしか残っていない。少なくとも、AUD 100のナンバーだった7 C 238も、レースを戦ったことは事実だ。
その後、英国スポーツカー選手権を含むレースへ挑戦していた、マイケル・サージェント氏が1961年に購入。この時点では、MGAエンジンへ置換されていた。1964年からはウィリアム・ビル・クック氏が所有し、1996年にジム・ローリー氏へ転売された。
クラブマン・レーサーらしく凛々しい佇まい
「極めてオリジナルのままで、1971年まで手は加えられていませんでした」。とローリーが振り返る。本来のナンバーは、どこかの時点で紛失しており、NFO 983のナンバーで再登録された。走行距離は、約5600kmだったとか。
2013年に、レストア職人のイヴァン・ダットン氏が購入。1961年仕様へレストアされ、欧州各地のクラシックカー・イベントで勇姿が披露された。現在のオーナーも、積極的にサーキットへ足を運んでいるらしい。

グレートブリテン島南部、ビスター・モーションのテストコースに佇むグランチュラ Mk2は、クラブマン・レーサーらしく凛々しい。前後のオーバーハングは短く、ルーフは小ぶりなドーム型。アルミ製の燃料キャップが、機能美を増長する。
リアのホイールアーチには、控えめなフィン。ダーク・ブルーのボディにイエローのストライプは、サージェント時代に施されたもの。通称「ウォブリーウェブ」ホイールに、ダンロップのレースタイヤという、1960年代初期と変わらぬ姿に気持ちがうずく。
低い位置へ収まるクライマックス・ユニット
ボディのフロント部分を持ち上げると、1216ccのクライマックス FWEユニットが顕に。2基のウェーバーキャブレターが大きく見えるほど小柄で、低い位置へ収まっている。整備性は、いかにも良さそうだ。
ドアを開くには、運転席側のサイドウインドウを開き、チェーンを引っ張る必要がある。比較的小柄な筆者は、ロールケージが張り巡らされていても、さほど苦労せず乗り込める。現代的なスパルコ社製のバケットシートが、身体へフィットする。

シートベルトは6点式で、正面には3スポークのマウントニー社製ステアリングホイール。タコメーターは7800rpmからレッドゾーンで、スピードメーターは時速120マイル(約193km/h)まで振られている。補機メーターやスイッチが、整然と並ぶ。
フォルクスワーゲン・ビートル由来のサスペンションと、短いホイールベース、高回転型のクライマックス・ユニットという組み合わせへ萎縮していたが、心配不要だった。クラッチは繋ぎやすく、シフトレバーは引っかかりがあるものの正確。扱いやすい。