まだまだ頑張る現役総編集長の奮闘録

2025.05.11

今回の笹本総編集長コラムは、ネコ時代の偉業の1つと言われるフェラーリ専門誌『スクーデリア』の創刊秘話。その前身となった雑誌や、商標を巡ってさる出版社やフェラーリ本社からの『問い合わせ』など、当時を知るマニアなら思わずニヤリな裏話です。

【笹本総編集長コラム】フェラーリ専門誌『SCUDERIA』の前身は『SUPERCAR CLASSICS』という翻訳誌であったことをご存じですか?

もくじ

『スクーデリア』とその前身『スーパーカー・クラシックス』
フェラーリ・ワンメイク誌への方向転換
フェラーリからの祝福を受け『スクーデリア』創刊も…

『スクーデリア』とその前身『スーパーカー・クラシックス』

フェラーリ専門誌『スクーデリア』創刊号と創刊第2号の表紙。

昨年からAUTOCAR JAPANの編集長を務めている平井大介君は、ネコ・パブリッシング在職時には様々な刊行物を編集する中で、13年間に亘ってフェラーリ専門誌『SCUDERIA(スクーデリア)』の編集長も務めていた。

私がネコを離れたのが2010年であるから、その後しばらくして編集長になったはずだ。最近は本屋さんの店頭で表紙を見ることはあったが、しばらく手に取ったことは無かったので、挨拶代わりに彼が持ってきてくれた最新号を見ていると、丁度30年前の、創刊の頃の経緯や苦労が蘇り、懐かしさとともに、ほろ苦さもこみ上げてきたのである。

実はこの『スクーデリア』の前身は英国で出版されていた『SUPERCAR CLASSICS(スーパーカー・クラシックス)』という最高級誌であったのだ。私はネコ・パブリッシングの創業の頃から、欧米の自動車誌や、エンスージァスト向けのマニアックな書籍を買い漁っていたので、かの地のレベルの深さは良く知っているつもりであった。

当時、創刊して10年近くが経つカー・マガジン(スクランブル・カー・マガジンから名称変更したばかり)よりも、更に奥行きのある高級誌を作りたかったのである。

しかし、国内だけでは到底取材対象になるような歴史的なクルマも人も集まらず、当時のベストソリューションとしては、欧米の雑誌の翻訳版を製作し、それに国内の情報を加えることであった。そこで、白羽の矢が立ったのが『スーパーカー・クラシックス』だったのである。

この雑誌は、英国のFFパブリッシングという出版社が発行していたので、早速、英国在住の当社のコレスポンダント(特派員)であったマイク・トンプソンに連絡し、社長のイアン・フレーザー氏にコンタクトを取ってもらった。

先方の感触は良く、1か月ほどで契約はまとまり、1988年の7月に私が渡英しロンドンで調印したのである。その時、始めてイアン・フレーザー氏とお会いしたが、このような高級誌を製作するだけあり、クラシック・モデルに対しての造詣は深く、私もまだまだ努力が足りないと、しみじみ感じさせられたのを記憶している。

その後、発刊の準備は次第に整い、12月には広告用の媒体資料も出来上がって、広告代理店向けに配布を始めた。そこで、突如驚くべきことが起こったのである。

何と、某有名自動車雑誌を発行する出版社から、内容証明付きの郵便が送られて来たのだ。

何のことかと開封すると、「広告媒体で御社のスーパーカー・クラシックス日本版の発売を知りましたが、当社はこの商標を1988年の12月に登録申請しています。もし、御社が登録をしていないのであれば、ご迷惑をお掛けいたします。御社のお考えをお知らせください」という内容であった。

どうやら、この出版社も同じ計画を考えていたようで、しかもこの出版社の編集長は、フレーザー氏とは旧知の仲だったそうだ。

後でフレーザー氏が語ったことによると、秋ごろ、この編集長から翻訳版を出したいとの手紙を受け取ったが、すでに、我々との契約が済んでいたので、返事を出さなかったということであった。

勿論、当社は契約交渉開始と同時に商標登録を出願しており、「当社の出版計画に変更はございません」という返事を謹んでお送りしたのである。結果は僅か5か月の差であったのだ。

実は私の義兄が弁護士をしており、折に触れてアドバイスを貰っていたので、駆け出しの企業の我々でも、商標に関してはしっかりと対処していたのである。

カー・マガジンの商標の取得でも、義兄が大活躍をするのだが、それについてもチャンスがあればいずれ記述したいと思う。

フェラーリ・ワンメイク誌への方向転換

『スーパーカー・クラシックス』創刊号と創刊第2号の表紙。

1989年3月に、スーパーカー・クラシックスの創刊号を発売した。表紙はあえて、傷がつきやすいのでタブーとされていたブラックにPP貼りとし、巻頭特集はランボルギーニ・ミウラで、フェルッチオ・ランボルギーニのインタビューも掲載している。

今、改めて手に取ってみると、現代でも充分通用する内容だと、手前味噌ではなく感じる。

さて、こうして、季刊誌として船出したスーパーカー・クラシックスだが、熱烈な読者の支持はあったものの、部数はなかなか伸びなかった。

1500円という定価をもっと上げて、逆に部数を絞り込めば良かったのかもしれないが、当時の時代背景ではそれもできず、悩んだ挙句、特集の中で、最も人気のあったフェラーリだけをフィーチャーしたワンメイクマガジンに変更することを計画した。

結局、スーパーカー・クラシックスは26号で発展的にバトンタッチをすることになった。

フェラーリからの祝福を受け『スクーデリア』創刊も……

『スクーデリア』の創刊号には当時のフェラーリ社長のルカ・コルデロ・ディ・モンテゼモーロ氏とフェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン会長の松田芳穂氏からの祝福の言葉が掲載された。

新タイトルはイタリア語の厩舎を意味する『スクーデリア』とすることにした。フェラーリのF1チームもスクーデリア・フェラーリと名乗っていたので、相応しい名前だと感じたのである。

創刊号は1995年の6月に発刊した。嬉しいことにお祝いの言葉をフェラーリ社のルカ・コルデロ・ディ・モンテゼモーロ社長とフェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン会長の松田芳穂さんからいただいている。

改めて、創刊号を見ると、当時、松田さんと2人でチームを作り、ミッレ・ミリアやツール・ド・フランス、ラグナセカに出ていて、国内ではフェラーリ・チャレンジ・レースへの参加とオーガナイズもやっていたことが懐かしく思い出される。この頃は、仕事も遊びも混沌としていて正に全開であったのだ。

スクーデリア創刊号の表紙は、やや濃いめのルビーレッドであったが、2号からは、写真のスペースを縮小し、広い地をシグナルレッド、すなわち、印刷用語で金赤とし、タイトル文字に使用した銀を全面に敷いて更に光るようにした。

この表紙は正にフェラーリを象徴するような華やかさがしっかり表現できたので、大いに満足した。どうやら今もこのデザインが続いているようである。

その後、モンテゼモーロ社長がフィアットへ移った頃から、フェラーリ社も商標の管理を厳しく行うようになってきた。

もともと商標の管理の厳しさはポルシェ社が有名であり、私が事務局長を拝命しているポルシェ356クラブ・オブ・ジャパンでもロゴの使用などは厳格に決められている。

そんなある日、フェラーリ社から依頼された弁護士から手紙が来て、『スクーデリアはフェラーリの固有のものだから返上するように』との内容が書かれていた。

これは幾ら何でも乱暴な話で、自分のF1チームがたまたま『スクーデリア・フェラーリ』だからと言っても、『スクーデリア』という言葉まで、単独で自分のものだとは言えないのである。

社長が変わるとこうも変わるか、と残念に思ったが、きちんと反論したところ、何も言ってこなくなった。

今、思い起こすと、私がネコ・パブリッシングを経営していた35年間の間には、本当に数多くの商標問題が発生したが、そのほぼ全てでしっかりと解決できたのは、弁護士の義兄のおかげであり、幸運であったと思っている。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    笹本健次

    Kenji Sasamoto

    1949年生まれ。趣味の出版社ネコ・パブリッシングのファウンダー。2011年9月よりAUTOCAR JAPANの編集長、2024年8月より総編集長を務める。出版業界での長期にわたる豊富な経験を持ち、得意とする分野も自動車のみならず鉄道、モーターサイクルなど多岐にわたる。フェラーリ、ポルシェのファナティックとしても有名。

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